想像地図研究所想像地図研究所 (IML)

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想像地図への夢日記

 寝ている間に見た夢からアイデアやネタを得る。
 アウグスト・ケクレは夢の中で見た6匹の蛇からベンゼン環の構造を思いついたと言われる。ポール・マッカートニーは夢の中で聞いたメロディから「Yesterday」を作曲したと言われる。
 夢からネタを得ることは、想像地図においても行われている。ただ、想像地図で「夢から得たネタを生かす」といった場合、夢を見た翌日にそのネタが常に生かされるとは限らない。そのネタを生かす場所として「しっくりくる場所」を描く時が来るまでに何日もかかったり、あるいは何年もかかることも珍しくない。そのため、見た夢を記録し、ネタを生かす時が来るまで忘れないようにする必要がある。
 しかし、気をつけたいことがある。「夢日記を書くと気が狂うから危険」と言われることがある。本来、睡眠中に見た夢は忘れられてゆくものだが、記録することで忘れなくなり、現実の記憶と区別できなくなってしまうため「気が狂う」といわれる。
 だが、この点で想像地図は大丈夫である。夢から得たアイデアを、「架空世界」の構築という作業に使うのだから、現実と混ざってしまうことはないだろう。また、想像地図は宇宙の彼方にある惑星が舞台なのだから、その点でも現実と混ざってしまいにくい特性を持っている。
 つまり、「夢の記憶」から「架空を想像すること」へ昇華させることで夢と現実の境界をはっきりさせ、その境界を「地球」(現実世界)と「泉星」(架空世界)の境界と一致させることで、混ざってしまう危険性を最小にすることができる。このため、全ての夢を記録するのではなく、面白かったりネタとして使えそうな夢だけを記録している。

注意事項

目次

2007年

2007年11月7日に見た夢 「引っ越し」

 福島県に引っ越すことになるという夢。
 この夢が、人生で初めて夢を記録した文である。これ以前の夢でも、おぼろげに覚えているものはあるが、日付を思い出せないのでここに記すことはやめておく。

2007年12月19日に見た夢 「謎の国」

 どこか日本ではない場所。漢字でもアルファベットでもない文字が書かれた看板がある。記憶が曖昧だが、ハングルのような文字だったかもしれない。そこで、山道を突き進んでゆくが、そのうち進入不可能になり引き返してしまった。

※この時点で筆者にはまだ海外渡航歴はなかった。初の海外渡航は2008年11月(オーストラリア)である。韓国への渡航歴は2014年現在もない。

2008年

2008年12月16日に見た夢 「丘陵地帯に林立する橋脚」

 丘陵地帯に橋脚が林立している場所を歩く夢を見た。まさに道路建設中という場所だった。
このほかに、「洗濯機が壊れる夢」や「タモリさんと会う夢」なども見た。

■2011年3月31日、この夢は生方府小雪市の地図に生かされた。
なお、夢を見たとき(2008年)は道路が建設中だったが、地図を描いたのは2011年だったため、そのタイムラグの間にその道路が開通したという設定にした。また、この地域の東側にある村谷湖については、2007年頃に夢の中で見た地図が参考になっている。

2009年

2009年1月4日に見た夢 「立体交差を抜ける」

 電車に乗っていた。観光地から自宅へと帰ろうとしていたのだろうか。電車は緩やかなカーブを走り、田園地帯を抜けて、短いトンネルへさしかかる。このトンネルは、JRの線路をくぐるために設置されたものである。それも直角に交差しているのではなく、かなりの鋭角で交差している。自分の乗っている電車から見れば、交差しているJRの線路は、右手前から左奥へと向かって走っている。つまり、ちょうど阪急大山崎のJRの線路の交差を左右逆にしたような構造をしていた。

■2012年4月8日、この夢は新山県津辺市の地図に生かされた。

2009年2月16日に見た夢 「運転寸前」

(この夢は、まだ運転免許取得前の話である。なお「運転しそうになった」のは夢の話であり、現実世界で法令違反を行ったわけではない旨を述べておく)

 なぜか、駐車場(すなわち、道路ではない私有地)で車を運転しそうになるという夢。
 その駐車場は郊外にあったが、そのの横を、複々線の線路(私鉄?)が地上を走っていて、踏切があった。そして、複々線の線路のすぐ向こう側には単線の線路が高架の上を走っていた。盛土式と鉄橋を組み合わせた高架で、比較的古そうに見えた。そして、その高架のさらに上を複線の線路(おそらくJRの線路)が一段と高い高架で走っていて、低い方の高架の線路と斜めに交差していた。
 そこで夢の中の筆者は、昔はJRの線路も複々線の私鉄の線路も地上にあり、古い高架線路はJRの線路を跨いでいたが、JRの線路のみが高架化されたためこのような景色が生まれたと推理した。

■2009年2月21日、この夢は岩本県春瀬市の地図に生かされた。夢を見てから5日後に生かされるという速さであった。

2009年6月16日に見た夢 「階段走破」

 気付くと、どこかの「城」のような店の中。その通路の中、何者かが後ろから追いかけてくる。その中を必死で逃げる。追跡者は身長170~180cmくらいの細身の女性。通路は途中で下り階段となった。新しい図書館のように、「点字ブロックのある新しそうな階段」を駆け下りてゆく。「追跡者」は無言・無表情のまま追いかけてくる。
 1階へたどり着き、出口を見つけたのでそこを抜けて逃げ出した。すると、目の前には凄い数のマスコミとパトカー。僕はその横を抜けて外へと逃げた。どうやら、マスコミとパトカーが追っていたのは、僕を追いかけていた追跡者だったようだ。
 僕は追跡者から逃げ切ることができたが、果たしてマスコミ&パトカーは「追跡者」を捉えることはできたのだろうか。

2010年

2010年9月11日に見た夢 「あぜ道ストリートビュー」

 Googleストリートビューが「あぜ道」に対応するという夢を見た。

※現在は車の通れない登山道などにも一部は対応しているので、結果的には「予知夢」になったのかもしれないが、この程度の内容なら充分に予想できたことであろう。

2010年9月29日に見た夢 「酷道」

 どこかの別荘のような建物の中。この建物の「廊下」が国道になっているという場所に行くという夢。この別荘から出ると、傾斜地の高級住宅地のような場所に出た。

2011年

2011年1月21日に見た夢 「ターミネーターと雪合戦」

 ターミネーターと戦う夢を見た。しかし、映画のような世界観ではなく、多人数でサッカーボール・おにぎり・雪玉などをターミネーターに投げつけて戦うという謎な戦闘スタイルであった。

 ちょうどこの頃、雪合戦をモチーフにしていた「ロト6のCM」が放送されていたので、その影響だろうか。

2011年6月7日に見た夢 「米谷」

 行き先表示の方向幕が「米谷」となっている地下鉄の電車に乗る夢。電車はやや混んでいて座れなかった。

 この夢は、「想像地図世界を舞台とする夢」を初めて見たケースである。「米谷駅」は想像地図世界内、生方府米谷市にある駅。この付近の地図は2011年3月2日に描いている。終着駅ではないが、米谷ゆきの電車がある、という設定もされている。そのような想像地図の設定に忠実な夢、つまり「夢の中で想像地図世界に行く経験」はこれが初めてであった。

2011年6月22日に見た夢 「四条通り」

 「四条通り商店街」という商店街を歩く。見たところ、明らかに京都の四条通ではない。10mほどの幅の道路の両側に商店が建ち並ぶが、寂れかかっている商店街という雰囲気であった。アーケード、というよりは、商店街の端にアーチのようなものがかかっていた。
 商店街を抜けて道路を真っ直ぐ進む。すると数百mでY字路にぶち当たった。Y字路の左側には駐車場があった。どうやら、このY字路は斜め右に進むのが「道なり」のようで、夢の中の自分は斜め右へ進んだ。その先の道路も「四条通り」という名前だったが、道幅が広くなり、片側2車線の道路になり、京都の四条通によく似た道路になった。そこの左側の歩道を歩いていた。道沿いは段々と都会になっていった。そのまま何kmか歩いて行くと、駅が見えてきた。この駅は道路の真上にある高架駅で、線路は道路とほぼ直角に交差していた。

■2012年8月22日、この夢は栄都府栄都市の地図に生かされた。

2011年8月31日に見た夢 「未来へのタイムスリップ」

 「「「2079年の大晦日へタイムスリップし、そこで新幹線に乗って東京方面へ向かうという夢」から目覚めてそれを日記に書き、最寄り駅から大学へ向かおうとする夢」から目覚め、どこかの謎の駅から電車に乗ろうとする夢」を見た。

 「夢の中で夢を見る夢」を見るという、二重のメタ構造を持った不思議な夢だった。また、夢の中で出てきた「新幹線」からは富士山が左側に見えて、そして「相模○○」という駅に止まろうとしていたので、リニアではなく東海道新幹線と思われる。「相模○○」という駅は倉見新駅だろうか?

2011年12月21日に見た夢 「水際」

 気付くと、どこかの高原にある湖畔にいる。
 湖岸は、草(芦?)が大量に生えていて、湖岸から少し離れた湖畔を片側1車線の追い越し禁止の道路がカーブして通っている。その道路の湖と反対側には古いアパートが建っていた。この道路は、(古いアパートを左手に、湖を右手に見るような向きで)そのまま進むと左へカーブして湖を離れて山へ進んでいくが、斜め右方向に、そのまま湖に沿って進む狭い道があったので、そちらへ進んだ。
 この夢の世界には、なぜか「かつてどこかのTV番組が悪のりして『水際共和国』という独立国家を作ろうとし、本当に独立宣言をしてしまったが上手くいかず、大量のゴミが湖畔に残された」という事実が有名である、という設定があった。夢の中の自分が立っている場所は、まさしくその水際共和国があった場所の跡地に近い場所だった。道を進んでいくと、「独立宣言」のときに放置されていたとおぼしき家具などが放置された場所にたどり着き、まさしくここが「あの場所」なのか、という感慨に浸った。道をそのまま進むと、最近できたという高速道路の高架下をくぐった。

■2013年3月27日、この夢は満島県榎立市の地図に生かされた。

2012年

2012年8月21日に見た夢 「街中」

 真下を地下鉄の線路が通る道路を歩き、アーケードのような所を通った後、地下街へ。そして地下鉄に沿った道路から離れて右側の脇道へ入り、都市高速が真上を高架で通る道路「国道124号」に突き当たったところで再び右折。暫く歩いて行くと、いつのまにか都市高速から離れ、片側2車線の道路が続く。その道路の右側の古いアパートの敷地に入ると、廊下がガラス張りになっている部分があった。そのガラス張りの下はトイレで、ボットン便所が設置されていた。

2012年11月4日に見た夢 「大阪湾から石油」

 大阪湾の海底から石油が出る夢を見た。

 残念ながらこの夢は想像地図に生かせそうにないが、面白かった内容のため記しておく。

2013年

2013年8月27日に見た夢 「青鬼からの逃走中」

 商業施設と学校を合わせたビルの中で、青鬼(ブルーベリーみたいな色をした全裸の巨人)から逃げる夢。
 このビルは少なくとも9階建て。参加者は自分以外にも多くいて、フリーゲームの青鬼の「青鬼から逃げながら謎解きを行い、館から脱出する」というストーリーではなく、「逃走中」のように「より長く逃げた人が賞金を手にする」といった雰囲気。青鬼は、ゲームの中に出てくるような「全身青色の2等身」から、次第に人間的な姿へと変化していったが、最後まで捕まることなく逃げ切った。

 この夢も残念ながら想像地図に生かせそうにない? いや、想像地図世界におけるテレビ番組でこんなのがあっても面白いかもしれない。

2013年10月8日に見た夢 「長崎のような街 1」

 平坦な片側1車線の道路を進む。斜めに線路が通る踏切を通った後、暫く進むと再び踏切。今度は踏切のすぐ近くに線路の分岐点があり、すぐ右側には駅がある。踏切を過ぎると道路は片側2車線になった。そのまま進み続けると、路面電車に沿って走る広い道路に突き当たった。その交差点を左折する。三角形の建物(観光案内所のような所?)の脇を通り、そのまま進み、100円ショップにたどり着いた。

2013年10月19日に見た夢 「長崎のような街 2」

 在来線の線路の終点らしき駅。高架駅で、新幹線の駅と並んでいる。在来線はここで終点のようだが、新幹線はその先にも続いている。新幹線の側道を行くと、新幹線の高架には、これに沿って在来線を建設するための準備施設とおぼしき構造が見て取れた。
新幹線の方が在来線より先に開通しているとはこれはいかに。

2013年11月14日に見た夢 「滝本」

 どこかの高速道路のサービスエリア。駐車スペースに車を止めた後、持参していた地図が北海道の地図と関西の地図だけが1冊にまとまった謎の地図帳であったことに気付く。しかし、食事の時間だったのでそのことはあまり気にせず、そのままレストランへ向かった。
 レストランは、高速道路の本線の真上に高架構造で覆い被さるような構造になっていて、中央分離帯に柱が立っていて、片方の車線の真上にレストランの建物があり、窓からは反対車線が眼下(斜め下)に見えた。その向こうには山林や谷が見えたので、夢の中であるにも関わらず、はっきりと非日常を感じた。
 食事を終えて出発しようとするが、夢の中の自分もこの構造は珍しいと感じたらしく、サービスエリア内の冒険を始めた。階段を上り、サービスエリアの真上を通る歩道橋のような場所を進む。本来、サービスエリアのランプウェイは、普通はそこまで複雑な構造をしておらず、高速道路の本線からサービスエリアの駐車場へ入る道と、駐車場から本線へ入る道が上下線にそれぞれ1組ずつ、合計4本のランプウェイあるだけである。しかし、ここからはそれよりも多くのランプウェイが複雑に絡み合うように立体交差している光景を間近に見ることができた。つまり、ここのサービスエリアにはインターチェンジも併設されていたのだろう。
 その後、戻ってきて再びレストランのある建物の中へ入った。廊下のような場所から左を覗くと崖下が見えた。これを見て、建物が斜面に建っていて一部が橋の ような構造になっていることが分かった。その廊下を右へ進んだ。この通路の突きあたりは、左側がトイレ、右側は先程いたレストランへの通路になっている が、このとき、突き当りの1つ手前にも左への通路があることを発見した。ここでその通路に入ると、そこはレストランよりも少し暗かったが、左側の壁面にエレベーターがあるのを発見した。エレベーターは3基並んでいる。一番奥のエレベーターに乗り、地下1階のボタンを押した。エレベーターはとても狭かった。 同時に、今まで居た場所が3階だったことが分かった。
 エレベーターがまず2階で止まり、ドアが開いた。2階はほとんど真っ暗で、非常口の標識からの灯と思われる緑色の光でかろうじて奥が見えたが、こんな真っ 暗で何もなさそうなところからエレベーターに乗ってくる人は一体いかなる人なのかと疑問に思っていたところ、左側の壁の陰から急に瀧本美織のような人が 乗ってきたので驚いた。緑色のかすかな光に照らされて無表情のまま乗り込んでくる姿からは、何かをたくらんでいるかのような雰囲気を感じた。あのような場 所は普通の人が行く場所ではなさそうなのに、明らかに係員ではない服装であり、極めて不審である。もしや、上へ行きたいのに下行きのエレベーターに乗って きてしまったのかもしれないと思って、「下行きです。」と話しかけたところ、一瞬驚いたようなそぶりを見せたが何も返さずにそのまま乗り込み、ボタンも押さなかった。どうやら僕と同じく地下1階へ向かうらしい。僕は緊張感と威圧感を感じながら、地下1階へ向かうこの狭いエレベーターに乗っていた。
 地下1階に到着すると、瀧本美織のような人はどこかへ消えていった。地下1階は船場センタービルの1階のような場所だった。普通、建物の地下には窓はなくて外は見えないが、ここの地下1階はエレベーターを出た左側に窓があり、外の景色を見ることができた。その隣には外への出入口もあった。外へ出ると、建物 のすぐ脇に複線の線路があり、線路のすぐ向こう側には国道が隣接して並走していた。踏切もあり、線路の向こう側への道が見えた。
つまり、ビルは斜面に建っており、サービスエリアの駐車場側から見れば3階があたかも1階のように見えて、国道側から見れば地下1階があたかも1階のように見えるような構造だったのである。
 しばらくそこに居ると、前方へ向かって (つまり、エレベーターを降りたときと同じ向きへ) 黄色の電車 (広島県で走っているような末期色) が走っていった。直後に、反対方向へ向かって赤い機関車 (EF67に似ていた?) が単機で走って行った。普通、機関車は貨車や客車を牽引していることが多いが、この機関車は何も牽引せず、単機で走って行った。
 線路に沿って歩いて行くと、2つの地名が書かれた看板が見えた。1つは忘れてしまったが、もう1つは「梢重」という地名だった。夢の中の自分はそれを「すえしげ」と読んだ。それを一眼レフカメラで撮影した。そのときカメラの撮影枚数を確認したが、2千枚を超えていた。つまり、夢の中の自分は、ここに来るまでに2000枚以上の写真を撮影していたのだ。
 そして、いい加減、サービスエリアの駐車場に戻るために再びエレベーターへ向かった。今度は、3つ並んだエレベーターの内、中央のエレベーターのドアが開いた。乗り込むと、降りるときに乗ったエレベーターに比べて広かったが、ボタンが「B1」「1」「2」「4」「11」しかなく、駐車場のある3階に行くにはどうすれば良いのかと迷っている内に目が覚めた。

 小説が書けそうなほど分量も多くてはっきりした夢である。このような夢は、後にも先にも見たことがない。

■2013年12月24日、この夢は滝本県梢重市の地図に生かされた。夢の中に出てきた「梢重」という固有名詞が、「すえしげ」という読み方を含めてそのまま地図に生かされることになった貴重な例である。

2013年12月4日に見た夢 「俊足」

 どこか学校のような建物の廊下。なぜだか分からないが、何者かに追いかけられている。追跡者は「謎の美人」とでも表現すべき美形で、黒木華に似ていたが、般若のように顔をゆがめて追いかけてきて、強い恐怖を覚えた。
 廊下には小中学校によくあるような机や椅子が大量に放置されていた。夢の中の自分は、その机や椅子をときたま動かし、通路をふさいで追跡者の行く手を阻みながら逃げていたが、それでもそんな障害物はものともせずにスピードを上げて追いかけてくる。一方で、逃げる自分を道端から応援する人もいた。
 どうして逃げているのか、なぜこの人は自分を追いかけてくるのか、そして追っ手が「美人」ならなぜ逃げる必要があるのか、また、なぜ逃げる自分を応援する人がいるのか全く分からないが、とにかく必死で逃げていた。追いかける「謎の美人」もやはり必死で追いかけてきた。
 階段を駆け下り、建物から脱出し、敷地を抜けて道路へと走り出す。まだ追っ手は来ているが、少し差が開いてきた。そして、古い住宅街の中を真っ直ぐ突き抜けている幅5mほどの道路の中央を、全速力で走り抜ける。右側に古い公衆トイレが見えてきた。体力が切れて全速力では走れなくなったのでトイレの中に身を隠そうとしたが、見るからに古く臭そうなトイレだったので、そんな不快な場所に隠れるよりはそのまま走り続けたほ うがいいだろうと思い、道をそのまま進んだ。走るペースは随分と緩慢になったが、追っ手との間にまだまだ距離があったので、走るペースが遅くても捕まることはなく、そのまま進み続けて信号のある交差点へ出た。
 交差点はT字路であった。右へ曲がると、片側1車線で両側に歩道のある道路が続いている。その右側の歩道を走っていく。道路は少しクネクネしていて、両側は森が広がっている。道路がクネクネしているため、追っ手の姿は全く見えなくなった。
 暫く進むと左側に寺が見えてきた。そこの本堂に入り、本堂を駆け抜けてゆき、本堂を抜けるとその先に傾斜地が見えた。傾斜地を上るための階段があったのでそこを上り、さらにその先にある崖も登った。崖を登ると、洞窟の入口に蓋がされているのを発見した。そこは身を隠すのにちょうどよさそうな場所だったため、その蓋を外して中へ入り、中から再び蓋を閉めた。すると、奥には何人かの人が閉じ込められていた。なぜ閉じ込められていたのかは分からなかったが、悪そうな人ではなかったので彼らを解放し、「英雄」となってテレビの取材を受けようとするところで目が覚めた。

 典型的な「追いかけられる夢」だったが、捕まることなく逃げ切った。これまでに追いかけられる夢は何度か見たことがあるが、大抵は逃げ切ってから目覚める。夢の中の自分は、いつも速く走れるのだ。多くの人が「夢の中では走れない」と言うが、僕はそうではないようだ。僕は現実世界では運動音痴だから、夢の中では俊足ということだろうか?
 あと、気になることがもう1つ。なぜ夢の中の自分は「美人」に追いかけられて逃げてしまうのか? どう考えても逃げる必要などないのに逃げてしまう自分がふがいない。

■2015年3月23日、この夢は寺島県永峰市の地図に生かされた。

2014年

2014年2月5日に見た夢 「堺雅人」

 気付くと僕はどこかの街の地下街と地下鉄が載った地図を見ている。
 そして実際にその場所へ行く。部分的にしか覚えていないが、地下の広場(梅田地下街の泉の広場よりも幅が狭いが、天井は高い)を通り抜けて、ガラス張りのドアを開けて真っ直ぐな地下通路を進む。そして地上への出口へ至る。この地上出口は、京都市営地下鉄北大路駅の北口のような雰囲気だった。
 ここで、なぜか堺雅人が刑事で、沢尻エリカを捕まえようとしていた。そこの横を通り抜けていき、地上へ出る。
 歩いて行くと路面電車の専用軌道区間の電停にたどり着いた。そこで電車を待っていると、新幹線風のデザインの電車がホームに入ってきた。その電車に乗ったところで目が覚めた。

2014年3月28日に見た夢 「吸引力の変わらないただ一つの掃除機」

 どこかの空き地を移動しながら集団で馬鹿騒ぎしたあと、広い校舎の中で鬼ごっこが始まった。最初は僕が鬼をやった。この「鬼ごっこ」の参加者はおそらく50人以上いるような雰囲気だったが、最初は追いかけてもなかなか捕まらない。下駄箱前のロビーのような場所や階段などで追いかけるがタッチできない。しかし、「校舎」のベランダを進んでいると、ベランダから「教室」に入るための入口のすぐ近くでのんびりしている人が居た。彼にタッチして鬼は交代した。そして僕はそのまま走り去った。別の教室にベランダ側からではなく廊下側から入っていったところ、まだ僕が鬼であると勘違いした数人が逃げようとしたが、もう僕が鬼ではないことを伝えると彼らは逃げるのをやめた。そして、「教室」のドアの鍵を閉めて鬼が入って来ることができないようにした。
 この鬼ごっこの参加者はほぼ僕と同年代であるように見えた。中学・高校・大学の同級生に似たような人も居た。しかし不思議なことに、具体的に誰であるかということが思い出せないのだ。

 突如ここで場面が変わる。鬼ごっこはもはや終わったのかもしれない。しかし、30代くらいの女性(岡江久美子似)が僕を追いかけてくる。そのため必死で逃げる。何かを叫んでいるようだったが、とにかく逃げていた。スピードを上げて逃げていくと、景色は「後方に向かってかっ飛んでいくように」流れていく。それはまさしく新幹線の車窓から見る景色のようだった。夢の中の僕は、ボルトどころか新幹線に匹敵する速度で走っていたのだ。
 だが、それでも追っ手はすぐ後ろを追いかけてきた。何かを叫んでいて、どうやら追っ手は「ひろみ」という名前で、僕のことを好きであるようだ。しかし、どんなに僕がモテないからと言っても、新幹線の如き速度で追いかけてくるような人は好きになれないと本能的に気付いたようで、逃げ続けた。
 目の前にビルが見えてきた。このビルの最上部と屋上はICカードを持っていないと入れなかったが、僕はなぜかそこに入るためのICカードを持っていたので屋上に行くことができた。このビルの屋上は隣のマンションの屋上と橋で繋がっていた。そこを通って逃げようとしている内に「追っ手」は登ってきた。エレベータや階段ではなく、ビルの壁をよじ登ってきたようだった。絶体絶命のピンチである。
 そのとき、僕を助けようとする4人組が現れた。夢の中の僕は彼らを知っていたらしい。だから彼らが味方であるとすぐに分かった。彼らは巨大な掃除機を持ってきた。そしてその掃除機を使って、追っ手を吸い込もうと試みた。追っ手は抵抗したが、5分もしないうちに吸い込まれた。すると、表面の「皮膚」だけが吸い込まれて、武骨なロボットの骨組みのような部分だけが吸い込まれずに残った。なるほど、追っ手は人間ではなくサイボーグだったのだ。「ロボットの骨組み」の足の部分(legではなくfootの部分)には「西浜長美」と白いペンで書かれていた。「長」で「ひろ」と読むのかと感心していたところ、なぜか松本零士が現れ、このロボットの骨組みを見て驚き、「これはすごい」という感想を言ったところで目が覚めた。

2014年4月20日に見た夢 「なおう駅」

 今回の夢は前半と後半に分かれていた。

 前半では車に乗っている。新御堂筋や名阪国道のような無料の自動車専用道路を走って行き、途中のインターで降りる。インターは新御堂筋にあるような、側道 部へ斜めに進入するような簡素な構造。そしてそのまま側道部を走る。側道部は自動車専用道路の本線の両側にあって、それぞれが2車線の一方通行になっている。本線はまだ右手に見えるが、暫く進むと上り坂になり、本線は桃山台駅付近のような堀割構造になる。さらに側道を進むと本線はトンネルに入り、本線は見えなくなった。そのまま進むと「側道」はただの片側1車線の道路になったが、どうやら本線はこの真下を通っているようだ(下図)。


 そして後半は電車に乗っている。進行方向右側の車窓から風景を見ていると、「なおう」という駅に到着した。ホーム自分が見ている車窓側、つまり進行方向右 側にある。もしここが複線区間なら、右側にホームが見えるのなら島式ホームであるはずだが、ここのホームは単式ホームであったから、ここは複線区間ではな く単線区間なのだろう。あるいは土樽駅のように、上下線が離れて走っている区間なのだろう。ホームは左カーブしており、先を見通すことはできなかった。電 車が出発し、見える景色が変化する。すると県境を示す標識が目に入った。この標識は駅名標と並んで設置されていた。県境は愛媛県と広島県の県境のように見 えたがはっきり覚えていない。また「なおう」駅の漢字表記も失念してしまった。ただ、駅があるのは海沿いの林の中だった。
 よく考えれば愛媛県と広島県の県境は海上なので、海沿いの林の中にある駅のホームにそれがあるのはおかしい。まあ、夢だから…、と言いたいところだが、本当に愛媛県と広島県の県境だったかな。やっぱり想像地図に生かしたいところだ。

2014年6月9日に見た夢 「至る所連音」

 至る所連音させて喋る、きわめて珍しい訛りを持った人が出てくる夢であった。彼は、「一番上」(いちばんうえ)を「イチバヌエ」と発音する、極めて珍しい訛り。

日本語は本来、ichiban + ue のように、子音で終わる単語の後に母音で始まる単語が現れても連音することなく別々に発音される。だから、普通の人は「一番上」(いちばんうえ)を「イチバヌエ」と発音することはない。しかし、夢の中に出てきた人は、子音で終わる単語の後に母音で始まる単語が現れるという状況が発生するたびに連音して発音していた。

2014年7月4日に見た夢 「マツコエレベータ」

 どこかのマンションのエントランスを抜けると、なぜか奥に売店がある。そしてその横は自転車置き場になっており、そこに今まで自分が乗ってきた自転車を停める。自転車置き場はそのまま隣の建物にも繋がっている。隣の建物は大学病院のような雰囲気があり、少し古いようだ。僕はその中へと足を踏み入れた。薄暗い廊下を抜けて、途中で一度右へ曲がり、エレベータに乗る。するとなぜかエレベータにマツコ・デラックスが乗っているではないか。この建物は4階建てのように見えたが、エレベータには「7.5階」のボタンがあった。何があるのだろうと思い、7.5階へ行ったところ、そこはレストラン街でそこそこ混んでいた。腹が減っていたわけではないので引き返すことにしてエレベータにまた乗る。すると今度は「地下5階」のボタンを発見。行ってみようとするが、そこで目が覚めてしまった。

2014年9月5日に見た夢 「竹薮道」

 田んぼの中を通る道路を車で走る。道路は田んぼよりも5mほど高い築堤上を走っている。築堤上の道なので交差点や信号はほとんどなく、他の道路とは立体交差になっている。暫く走ると、当たりの風景は田んぼから山に変わった。周りは竹薮である。
カーブを抜けると、Y字路が現れた。しかし、Y字路の右の道は入口に仮設のガードレールが設置されていて入れないので、左に進むしかなかった。すると道は 下り坂になり、T字路に突き当たったのでそこを右折した。少しクネクネした道を進むと、周囲の風景は山林から再び田んぼに戻り、またT字路に突き当たっ た。道のすぐ向こう側は線路が走っている。そこを左折すると、そこそこの規模の街にたどり着いた。

 この道路の全体的な雰囲気は、国道161号のような雰囲気だったように感じる。

2014年10月15日に見た夢 「アクリルの棒」

 変則的なロータリーのある道を自転車で通った後、どこかのホームセンターにたどり着いた。そこで、断面が15mm×15mmで長さが42cmと断面が15mm×15mmで長さが30cmの2種類のアクリル棒を購入しようとするも、なかなか店員が手間取り、時間がかかる、という夢であった。

2014年11月4日に見た夢 「1968年へのタイムスリップ」

 気付くと僕は1968年の世界に居る。タイムマシンのような機械が出てきた場面はなく、自分がいた世界が「唐突に」1968年であった。
 道幅15mほどの道路を歩き、やや低い線路の高架をくぐる。すると、くぐったすぐ先は十字路で、正面の道路は狭くなっている。僕はそこで左へ曲がった。この道を進むと線路沿いに進むわけだが、道路と線路の間のスペースに何軒かの家が建っている。そのまま進み続けると、線路と道路はごく僅かに左へカーブし、カーブのあたりからは線路と道路の間の間隔が狭くなって、道路から線路が普通に見えるようになった。この部分の線路は地上2mほどの築堤上を走っている。
 道は途中から未舗装道路となり、途中で進めなくなった。一方、線路はその先に続いていて、奥に見える谷に沿って走っている。

 そのとき刹那、世界が変わった。タイムマシンやタイムトンネル的なものを通ることなく、1968年の世界から2014年の世界へ「瞬間移動するように引き戻された」。2014年の世界では、線路は依然として残っているが、線路に沿って高速道路が走っていた。そして、冒頭の「やや低い線路の高架をくぐる部分」は、逆に道路が線路(と高速道路)の上を橋で跨ぐような構造に変化し、道幅も20mほどに広がっていた。

そして、その道を進んで、忍者屋敷のような建物に入り、そこで人工言語の資料を探そうとしているところで目が覚めた。

2015年

2015年3月22日に見た夢 「四角い虹」

 3階建てほどの高さのビルの屋上にいる。空に、「色見本のような虹」が浮かんでいる。それをコンパクトデジカメで撮影したのだが、綺麗に写らない。そこで露光時間の調整できる、一眼レフカメラを持ってきて撮影を試みるが、虹は消えてしまった。虹が消えるとつるべ落としに夜になり、星が見えるようになった。そこで、場所をビルの屋上から路上に移して、星の撮影を始めた。街の中で、灯りが沢山ある場所にも関わらず、夜空には満天の星が見えていた。

2015年7月8日に見た夢 「平面交差駅」

 JRと私鉄が平行に走る区間で、私鉄の方に乗っている。乗っている電車はおそらく特急であり、いくつもの駅を通過した。途中、「相○」という駅を通過した(「相賀」とか「相良」とか、そんな感じの駅名)。ただし、三重県の相賀とは異なり、平坦な場所を走っている。辺り一面は田園地帯である。
 気付くと、先程までは電車に乗っていたのに、いつの間にか車に乗っている(運転しているのではなく助手席にいる)。郊外のバイパス道路のような所を街の中心方向へ走っている。暫く走ると、バイパスの未成区間にぶちあたったので右折した。右折して次の交差点を左折した。その交差点は少し高い場所になっていて、交差点へ向かって上り坂になっていた。また、この交差点は信号のある交差点だが左折可となっていた。それから暫くすると街の中心部近くへ着いたが、そこは田んぼとビルが混在する少し不思議な光景。
 なぜかそこで車を降りて、田んぼのあぜ道を歩いて行く。暫く歩いて小高い丘を越えると公園があった。公園の中を単線の線路が貫いていた。沢山の子供達の遊ぶ公園だが、線路には柵などはなかった。1箇所だけ踏切があった。その踏切を越えて暫く歩いて行くと駅にたどり着いた。この駅は線路同士が直角に平面交差 している珍しい構造だった。昔の西宮北口とは異なり、複線の線路と単線の線路が交差していた。駅付近では、単線の線路は川に沿って走り、複線の線路は川を渡っている。
そしてその駅近くで開かれている鉄道関連のパーティ(?)に参加するというところまでが今回の夢であった。

2015年9月13日に見た夢 「鮮魚列車」

 出先からの帰路、郊外の比較的大きな乗換駅。最速の電車を待とうと発車標を見るが、特急は来そうになく、発車標には2番線の快速列車と1番線の普通列車が 表示されている。すると、3番線に「鮮魚列車」が入ってきた。鮮魚列車は近鉄に実在する(6両編成)だが、やってきたこの鮮魚列車は阪急2300系そっくりで、さらに3両編成。前2両が2300系風で、最後尾は「台車の上にロングシートを1つ載せただけで、屋根も壁もないオープンカー」であった。さらに、駅員によるとこの鮮魚列車は近鉄の鮮魚列車とは異なり一般客でも乗ることができるらしいので、乗ってみることにした。無人だった「オープンカー」は、僕以外に4人の乗客を乗せて出発した。しかし、この4人の乗客が全て僕の知り合いだったことに気付いたので、「こんなところで会うとは!」とみんなで驚きあっていた。
 数駅か進んだ後、この「オープンカー」は前2両から切り離された。するとこの「オープンカー」は、線路だけでなく道路も走ることができるようで、線路を外れて道路を走り出した(運転手がいないのに何故か自分の意志で(?)走る)。始めは街の中を走っていたが、そのうち山道を進み始めた。山道では時折、謎のキャラクター(?)が道をうろついており、それを撮影しようと奮闘している内に目が覚めた。

2016年

2016年11月18日に見た夢 「火水木土」

 ふと地図を見ていると、 「火水木土」の4つが田の字型に組み合わさってできた漢字、すなわち
火水
木土
のような形の15画の漢字が含まれる地名が記されている場所があるという夢を見た。

2016年12月13日に見た夢 「細長い18きっぷ」

 城跡っぽい場所で大規模な「鬼ごっこ大会」が開かれている。この城跡は石垣だけが残っていて、天守閣は残っておらず、雰囲気は高松城に似ているようだった。
 この「鬼ごっこ大会」、僕は3人組で逃げることになった。そのうち1人は、小中学生時代の同級生に似ていたかもしれない。
一方、鬼は松嶋菜々子によく似た人だった。
 鬼ごっこ大会は、城跡特有のギミックを駆使した「長期戦」となり、最後まで3人組で逃げ続けた。結果、鬼に捕まることはなく、運動場のような場所に出たところで目が覚めた。

 またしても「追いかけられる夢」だった。しかし、夢の中の僕は何故「松嶋菜々子によく似た人」から全速力で逃げていくのだろうか(笑)

2017年

2017年1月3日に見た夢 「細長い18きっぷ」

 どこかの駅の窓口で青春18きっぷを購入しようとすると、なんと「赤色の常備券」が購入できるというので、購入すると、手渡されたのは「2cm×10cm」ほどの、やたら細長い形状の切符だった。大きさが明らかにおかしい。

2017年2月14日に見た夢 「想像地図世界の駅名替え歌」

 想像地図世界の駅名で駅名替え歌を作ろうとする夢。それも、「全県制覇が前提」だったので、「想像地図の完成後」を見ていたのだろうか?

2017年6月29日に見た夢 「懐中電灯の戦い」

 出先(建物は木造っぽい?)で、風呂に入ろうとするが、電球が切れそうになっている。しかし、懐中電灯がかなり沢山あったので、風呂の外から中を照らすように、いくつかの懐中電灯を置いた(風呂のドアは磨りガラス)。
 そうしようとしているとき、玄関から強盗が入ってこようとしてきた(玄関は施錠されていたが、蹴破られそうだった)。そのうち蹴破られるだろうと思ったので、まだ沢山あった懐中電灯を、玄関の方を向けてスイッチON! 懐中電灯の光は非常に強く、直視したら目がくらむほどの光の強さだった。これが武器になるだろう、と強盗が入ってくるのを身構えている内に目が覚めた。

2018年

2018年1月23日に見た夢 「地下図書館」

 少し古い洋館に入り、こそこそした狭い階段(木製)を降りると、そこは地下図書館の入口だった。地下1~2階は、古風なワインセラーのような雰囲気で、古書が置かれている。しかし、そこからさらに深い階層へ降りると、洋館の外装とは似合わない現代的な図書館になっている。そして、エスカレーターもあり、多くの人で賑わっていた。最初の狭い入口が嘘のようであった。この「図書館」の中を進むと、最も深い階層は地下8階だった。そこには水泳用のプールもあり、果たしてここは一体何なのか?
 おそらくこの場所は、古くからある洋館とその地下室の真下につくられた複合施設なのだろう。そしてきっと、最初に通った狭い入口の他にも、図書館へ入る道があると推察された。

2018年4月17日に見た夢 「十日市場」

 学校の夢を見ている。席替えだろうか、机を移動している。移動が終わると、クラスメイトと鉄道の話が始まった。
 ここで場面が切り替わった。東京の山手線のような環状路線の内側にいる。そこを起点に、どこか遠くに旅に出ようとしているところだった。駅の近くに少し古そうな市場がある。乗る予定の電車の時間には、まだまだ余裕があるので、入ってみることにした。市場の建物の中に入ると、「地下鉄十日市場駅」の看板が目に入った。少し古そうな入口からは、地下へ下る階段が続いている。その階段を降りていくと、天井が空いていて空が見える通路を通る箇所があったが、全体的に薄暗くて床には砂が散らばって草も生えている。古びた調度品がたくさん放置されている。そして地下鉄の駅であるにも関わらず、改札が見当たらなく、そのままホームに入ることができてしまった。しかし、ホームも朽ち果てて、古い調度品が放置されている。きっとここは、廃墟なのだ。
 先程の入口だけでなく、もう1つの地上への通路があった。そこを昇ると、東京的な風格の漂う閑静な住宅街。ふとみると、ブラタモリの撮影が行われているではないか!近づける雰囲気ではなかったので、遠巻きに写真を撮って、さっきの地下鉄駅に戻ると、タモリもやってきた。
 廃墟のようなこの駅だが、線路はピカピカなので、電車は走っているようである。つまり、線路は使われているが、この駅は廃駅ということなのか、などと思っている内に、接近放送があり、電車がやってきた。
 しかし、その電車が入ってくる前に場面が切り替わる。屋上の床が硝子張りになっているが、その上が歩けるようになったショッピングモール。エレベーターで3階に昇ると、もうその「硝子の屋上」だった。しかし、すぐに下の階に戻った。
 ここでまた場面が変わって、古民家の一室らしき場所に居る。ここは古民家を改築した宿か。どうやら、夢の中で夢を見ていたようだ。そして、いま見ていた夢を必死で説明しようとしている。ノートを見つけたのでそこに書こうとしている。そこで目が覚めた。

久々の長い夢である。タモリが登場する夢は(記録にある限り)10年ぶり2回目である(前回は2008年12月16日)。

2019年

2019年7月19日に見た夢 「田舎の駅」

 おそらく法事のため、田舎に来たのだろうか。法事が終わって帰宅するため、家族に車で駅まで送って貰っている途中の場面から夢が始まった。それも、目的の駅まで数百メートルという場面から始まった。このあたりは、おそらくJRと私鉄の線路が並行して走っていて、目的の駅はJRの方の駅である。JRの駅までの道の途中には、私鉄の線路(単線)の踏切がある。踏切を越えて100~200mくらいで、目的の駅に到着した。この道は完全にこの駅への道であり、道路は駅前で(駅舎に突き当たるところで)小さなロータリーのようになっていて、そこが道路の終点である。
 なぜか、この駅で「社長」と待ち合わせすることになっていた。
 駅舎自体は小さかったが、駅舎の左側にいくつかの建物があった。そのうち1つは、水族館のような建物である。入ろうとすると、帽子を脱いでくださいと言われた。しかし、今探しているのは切符売り場である。切符売り場はどこですかと聞くと、この「水族館」の奥にあるというのだ。切符売り場に行ってみると、田舎の小さな駅とは思えないほど多くの駅員がいる。というよりも、巷で見かける切符売り場というよりは、完全に事務所の中に入ってきてしまったという雰囲気だ。「事務机が置かれた事務所に客を入れていいのか!?」と訝ったが、ここに切符売り場があると案内されたのだから仕方ない。家の最寄り駅までの切符を買おうとしたのだが、ここで1つ、あることを閃いた。もし、家の最寄り駅よりも先の駅まで切符を買って、その値段が家の最寄り駅までの切符と同額だったら、家の最寄り駅では途中下車したことにして、別の日にその「先の駅」までの用事ができたときに使えるのではないか、と。そう思ったとき、切符売り場のこの「事務所」の中では何か事件が起きているように感じた。そう、クレーマーが大声で文句を喚いているように見えた。しかし、その周りではクレーマーなど気にせず平然と切符の発券作業が行われている。なかなかシュールな光景だ。
 そのとき、また新たなことを閃いた。この夢の中の僕は、この数日後に青春18きっぷを使って2人で2日間の旅行をする予定だということになっていた。18切符は5回分なので、2人で2日間の旅行をすると4回分を使用するから1回分が余る。それなら、今日ここから家まで帰るときにその「1回」を使えばいいではないか。そう思い、18切符を購入することにした。

 その後、電車に乗るタイミングで合流したのか、あるいは駅舎の中で合流したのか、どちらなのかその記憶はやや不鮮明だったが、「社長」も後から駅に着いた。この「社長」が女性だということはあらかじめ聞いていたが、おそらく僕よりも大幅に年上、母親と同年代くらいだろうと予想していた。しかし、そうではなく僕と同年代のように見えた。ただ、この「社長」が何の会社の社長なのか、全く分からなかったが、おそらく製造業(町工場?)の2代目ではないかと思った。
 何のために待ち合わせて、何のために僕と同じ電車に乗って帰る必要があったのか全く見当もつかなかったが、2人で電車に乗ることになった。「僕が18きっぷで(特急を使わずに)普通列車のみで乗っていきますが、それでも大丈夫ですか」と質問したところ、「社長」は応諾した。
 電車に乗ってから数分後に、「社長」から「告白」された。(えーそれはうちの会社に入社して欲しいという意味ですか、いや違いますか。僕のことを好きなのですか、そうですか…。) 僕は「パートナーが居るからダメです」と断った。しつこいことに、向こうは一歩も引かない。しかし、何度告白されても答えは同じだ。(パートナーが居るのだからダメです。僕はパートナーを愛していますから。18きっぷも、数日後にパートナーと2人で旅行に行くために買ったのですよ。) パートナーの存在を強調して断ったが、それでもなかなか相手は引かない。最終的に「どうしてもというならタイムマシンを作って2016年にタイムスリップしてみてはいかがですか」と言うと、流石に諦めたようだ。

 電車は橋を渡ったりトンネルを通ったり、車窓は次々に変化していった。夢の場面が転換し、その後、今回の電車の夢をノートにつけようとする場面も見た。
 そう、この夢もまた、「夢の中で夢を見る夢」だったのだ。ただし、ノートに夢の内容を書いている場所は、自宅ではなく旅先(旅館)だったので、今回の夢は「旅行中に夢を見る夢」だったのだ。
 そして、夢の中の僕は、告白されても決して動じることはなく、パートナーを決して裏切ろうとしなかった。たとえ夢の中であっても僕は浮気をしないということで、(現実の)パートナーへの愛を証明することとなった。

 でももう、こんな夢は二度と見たくない。今回の夢は、2013年11月14日に見た夢に匹敵する濃度だったが、そちらは旅先で建物の中を探検する夢であり、旅の楽しさを味わうことのできる内容だったのに対して、今回の夢は精神衛生上あまりよろしくない夢であった。長い夢や密度の高い夢を見るなら、こんな内容ではなく、もっと旅の楽しさを味わえる夢を見たい。ただそれでも、ストーリーはともかく、夢で見た駅の構造は興味深く、車窓は美しかったので、想像地図の描画に生かしたい内容だ。

なお、この夢を見たとき、現実の僕は骨折のため左腕にギプスをはめた状態だが、夢の中の僕はギプスをはめていなかった。

2020年

2020年3月1日に見た夢 「乗り遅れ」

旅行中に、食事にやたら時間がかかって(レストランの調理時間が長すぎて)、本来乗る予定の普通列車に乗り遅れて、新幹線を使おうとする夢。

2020年4月12日に見た夢 「複合夢」

 どこかの街中でJRの運賃計算方法について話していた後、移動して、新幹線と高速道路が並行して走っていて両者の間をモノレールが通っているような場所に行く。そのモノレールの駅の中を通る道を歩く。立体駐車場のような車道もあって、その横を抜けると、美術館か古民家か(?)そんな感じの建物から、とても雄大な感じで富士山が見える。
 その地域をうろうろして富士山を撮影し、土産物を買ったりする、そんな夢。

2020年4月26日に見た夢 「複合夢」

最初に見た夢は、どこかのレストランあるいは旅館(?)(それなりに古い)の中の上の方の階が3次元的に入り組んだ複雑な構造になっていて(例えて言うなら船の中のように階段と通路が入り組んでいる。入ったら出られなくなるドア(?)もある)、その中を冒険する夢。
2番目に見た夢は、国道161号の北小松(滋賀県)と、国道499号の大波止(長崎県)を合わせたような場所の夢。
3番目に見た夢は、暴れまくるサッカーボールが出てくる体育の授業の夢(ハリーポッターのクィディッチに出てくるブラッジャーのようなボール)。
4番目に見た夢は、「格変化で拗音化する言語」(kwa や swa のようにw音拗音になる)が出てくる夢。
5番目に見た夢は、ロックミュージシャンが履いているような靴を履く夢。

2021年

2021年7月14日に見た夢 「秋田駅」

 「秋田駅」が出てくる夢だった。しかし、我々の知っている(秋田県にある)秋田駅とは随分と見た目が違う構造だった。まず、コンクリートの平屋の駅舎で、そこまで大きくはない。無人駅の簡素な駅舎よりは大きいが、地方都市の中心駅の駅舎よりは小さい。小さな町の中心の駅という雰囲気であった。その駅舎内のトイレは駅舎外側から利用できるようになっていた(駅舎の正面から見ると、中央に駅の入口があって、右側にトイレがある)が、汲み取り式だった。

2021年11月5日に見た夢 「kare」

 Twitterのとあるフォロワーさんが出てくる夢。その後に、更紗語で kare が「急ぐ」という単語である、という内容の夢を見た。

2021年11月11日に見た夢 「体育館の鍵」

 学校の体育館の鍵を探し回ったりする夢。

2021年12月5日に見た夢 「0階」

 「0階」のボタンがあるエレベータのあるマンションを見学する夢。場所は沖縄だったような気がする。

2022年

2022年1月2日に見た夢 「温泉洞窟」

 温泉地にある洞窟(何故か中の壁面が緑色)を通っていくと、地下の商店街のような所へ抜ける。そこにある店で食事をしようとする夢。

2022年4月12日に見た夢 「唯重常盤」

 南海の駅で特急電車を待っていると、これから乗る予定の特急電車が来る番線が変更になるという放送があった。放送によると、いま自分が電車を待っている同じホームの反対側に来るとのことだったので、そちら側に移動した。すると、ホームに入ってきたのはJRの車両で関西空港ゆき。JRの新快速で見る車両と同じ車両だった(だから、225系だったのだと思う)。しかし、今の自分の行先は関西空港ではない。どうやら、先程の番線変更の放送は誤りだったようだ。だから元いた場所に戻ろうとした。すると、その短い間に、別の行先の電車がホームに入り、出発した直後だったようだ。そこへすぐに本来乗る予定だった電車が来るという放送が再び入った。
 ホームに入ってきた電車は、新幹線の車両。ここは在来線のホームのはずだが、どう見ても新幹線の車両だった。乗ると、何故か座席が横向きである。東海道新幹線の700系のような青い座席が「6席並び」で、下の図のように、全て車窓の方を向いている。


 指定席特急券ではなく自由席特急券だったが、図の「1~6」の席は全て空いていたので、「1」の席に座った(注:この番号は、説明のために便宜的につけたものであり、夢の中でこのように座席番号がついていたわけではない)。「1」に座ると、他の席もすぐに埋まっていった。そしてなぜか隣(「2」の席)に座った人に、僕がつけている腕時計に関して声をかけられた。その人と話す内に、僕が想像地図の作者であるという話になった。そのとき、「6」に座っている人も、「12」に座っている人も(どちらも女性で、僕よりも若そうだった)、同じく架空地図を描いている人なのだと分かった。同じ列車に3人も架空地図作者が乗り合わせる奇跡に驚いていた。「12」の席に座っていた人は、自分の本名が「唯重 常盤(ただしげ・ときわ)」という名前なのだと名乗ってきた。お互いに本名を名乗り合った後、お互い相手の名前に由来する駅名を自分の架空地図の中に作ることを約束した。そこで目が覚めた。
 夢から目覚めても、「唯重 常盤」という名前を覚えていた。これまでの人生で、夢の中に出てきた地名や駅名を起きてからも覚えていることはあったが、夢の中の登場人物の人名を覚えていたのは、これが初めての経験だ。そして、本当に想像地図に「唯重」という地名を作ろうと思う。
 ちなみに、起きてからよく考えてみると、「唯重」は寧ろ苗字と言うより名前っぽく、「常盤」は名前と言うより苗字っぽい。なお、「唯重」はATOKでは問題なく変換できる。

2023年

2023年1月2日に見た夢 「初夢で富士山」

 左肩が脱臼しそうだとか何とかで病院で検査を受けるも、何故か聴力検査も受けることになった。聴力検査室(聴力検査を受けるあの狭い部屋)に入ると、なぜか小便器がある。そんな狭い部屋に小便器があるものだから、部屋に入ったら案の定、センサーが作動してしまう。そして水が流れ、水がかかってしまうも、聴力検査は無事に完了。なぜか駅のホームで聞こえてくるような接近メロディとかが聴力検査に使われていた。
 その後、静岡の三島のあたりで、10人くらいで集まっている場面に変わった。今から富士山に登るからと、まずは昼食を食べようか、と話しているが、明らかに皆、富士山に登るには軽装すぎるし、5合目からではなく一番下から登るなんてなんてストイックな富士登山だ、と思っている内に目が覚めた。
 なんと、初夢で富士山に関する夢を見たのである。それまでに人生で2回ほど、富士山の夢を見たことがあったが、どちらも初夢ではなかったし、噴火の夢だったから随分不吉なものだったが、今回は噴火の夢ではなかった上にそれが初夢だった。おそらくこれが創作に生かせると言うことにはならないだろうけれど、忘れがたい夢なのでここに記すことにした。

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